徳島県に住んでいながら徳島のことをあまり知らないという方も多いのではと思い、徳島について調べたことを書こうと思いました。
(私も阿波の国ということしか知らない・・・・)
いったい、私達が住んでいるこの徳島県はどうやってできたのか。
私もサイトを作るということで少し調べる機会ができたことに感謝しつつ、学んだことを紹介していこうと思います。
徳島県の歴史、阿波の由来
現在、私達が住んでいるこの徳島県。その昔の県北部は粟が多く収穫されたことから「粟国」(あわのくに)、県南部は「長国」(ながのくに)と呼ばれていたようです。
「古語拾遺(平安時代の神道資料)」により詳しく書かれていますのでご興味ございましたらチェックしてみてください。
その後、和銅6年(713年)、元明天皇による好字令で、地名を二字で表記するため「粟」は「阿波」に変更され阿波国(あわのくに)と呼ばれるようになったんですね。
阿波の由来は粟だったんですね。
阿波国
鎌倉幕府により佐々木氏、小笠原氏が守護に任ぜられたこの阿波国。
室町時代には三管領家の一つである細川氏の支配するところとなるが、戦国時代の到来により小笠原氏の庶流である三好氏がこれに代わることに。
その後歴史的にも最盛期を迎えたが阿波を治めていた 三好実休、讃岐を治めていた末弟十河一存が 1561年・1562年に急死。
更に一族は病死など様々なことが有りながら弱体化していったそうです。
詳しくはこちら↓
織田信長・豊臣秀吉などの名前も
先程のリンクでは徳島の歴史を知ることができました。
1584年阿波は土佐を治めていた長宗我部元親の支配下に。1585年には讃岐、伊予を攻め四国統一を成し遂げたそうです。
しかし、その統一は1ヶ月を待たずに豊臣秀吉によって攻め込まれ、長宗我部元親は土佐以外を没収されたそうです。
何より驚いたのは、織田信長に豊臣秀吉など知った名前が出てきたのにびっくりしました。
徳島県は一度無くなった
明治に廃藩置県が実施されると阿波は名東県となったそうです。まだ徳島県では無いのですね・・・
名東県は淡路国(淡路島)も含まれ、1873年(明治6年)2月20日には香川県も編入したそうです。
四国(4つの国)じゃ無かったのですね。
しかし、第二次府県統合により、1875年(明治8年)香川県として分立再置県、1876年(明治9年)に淡路国は兵庫県に編入され、阿波国部分は高知県に編入。
あれ?徳島県が無くなってる・・・・
徳島県となったのは1880年
しかし、結局1880年(明治13年)に旧名東県が高知県から分離されて現在の徳島県が発足。
1880年(明治13年)にやっと徳島県という文字が・・・
四国の各国はほぼ旧国の形のまま県へと移行し今の徳島県になったようです。
まとめ
意外と知らなかった徳島県。阿波国と呼ばれていたことは知っていましたが、阿波の由来は「粟」だったとは・・・
約400年の伝統がある阿波踊りなどの文化を有する徳島県。
意外と知らないことも掘り下げていくと多くありそうですね。
広く浅く(あまり詳しくは無いので・・・)徳島をこれからも紹介していきます!
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