徳島県民総出の一大イベントである阿波おどり。お盆には県外から多くの観光客が訪れ、徳島にはこんなに人がいるのか!!とびっくりするぐらい盛り上がります。
私は小さいときから阿波おどりを見てきて、学生時代には小さな連ですが阿波おどりにも参加したことも有ります。
チャンカチャンカチャンカチャンカ
という鐘の音に心を弾ませる徳島県民が多いのではないでしょうか?
そんな阿波おどりについての歴史や由来を調べてみようと思いました。
阿波おどりとは?
阿波おどり(あわおどり)は、阿波国(現・徳島県)を発祥とする盆踊りのこととウィキペディアには書いてありました。
皆さんご存知である三味線・太鼓・鉦鼓・篠笛などの2拍子の伴奏にのって、踊り手の集団が踊り歩く盆踊りですね。
チャンカチャンカチャンカチャンカという鐘の音のリズムに合わせ、連(踊り手の集団)の掛け声と踊りには心がいつも打たれます。
えらいやっちゃ、えらいやっちゃ、ヨイヨイヨイヨイ、踊る阿呆(あほう)に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らな損々という掛け声も特徴的ですね。
徳島県ならず、阿波おどりを少しでも聞いたこと、見たことある方ならご存知かと思います。
そんな徳島県を代表する阿波おどりの歴史
阿波おどりの起源と言われているのが、精霊踊りや念仏踊りなどではないかと言われていますが、実はその原型は明らかになっていないのです。
徳島藩が成立して以後、盛んに踊られるようになったと言われているようですね。
阿波踊りの一節には、天正14年(1586年)の徳島城が竣工した際、当時の阿波守・蜂須賀家政が城下に、
「城の完成祝いとして、好きに踊れ」
という触れを出したことが発祥という説もあるようです。
徳島で阿波おどり禁止の時代も
そんな徳島県民に愛される阿波おどりなのですが、実は過去に踊りを禁止されていた時代があったようなのです!
なんと、江戸時代には阿波おどりが年貢の取り立てが厳しかったことから一揆につながるとの理由で踊りが禁止されていた時期もあったそうです。
阿波おどり禁止令を破り、自宅で踊った家老がお家断絶という厳しい処分がくだされたということです。
また、日本が戦争に参戦していた戦時中にも、お国の為に戦っている兵隊さんが居るのに不謹慎だと一時阿波おどりは禁止されたそうです。
調べてみるまで知りませんでした。
阿波おどりっていつから呼ばれているの?
徳島県民に愛される阿波おどり。これは徳島県内で踊られていた盆踊りのことだとウィキペディアには有りました。
じゃぁ、この「阿波おどり」という名称いつから呼ばれる様になったのか?と思い調べてみました。
どうやら昭和初期からそう呼ばれるようになったようで、この「阿波踊り」という名称は日本画家・林鼓浪が提案したそうなんです。
その提案を徳島商工会議所(当時は商業会議所)が承認し広がっていったということで「阿波踊り」が認知されることに。
阿波踊り・阿波おどり どっちが合ってるの?
私もこの記事を書いている時に疑問に思ったのが、
「阿波踊り」
「阿波おどり」
どっちなの?ということがふと頭の中によぎりました。実は、徳島市や高円寺の阿波踊りではポスターや看板等において専ら「阿波おどり」と表記されるんです。
更に徳島県が発行する印刷物等においても「阿波おどり」で統一されているようです。
阿波踊りから知らない間に阿波おどりに統一され、私達徳島県民は「阿波おどり」が標準になってきていたのではないでしょうか。
(阿波踊り、阿波おどりとどっちでも良いですが・・・)
まとめ
徳島県民に愛される「阿波おどり」の歴史について意外と知らないことも多かったのではないでしょうか?
私も調べるまで全く知りませんでしたから・・・・
私の学校は違いましたが、徳島県内の小・中・高校では体育の授業や体育祭などで「阿波おどり」を演目として採用しているところもあるというほど徳島県民の代表的な祭り。
阿波おどりのシーズンが待ち遠しくなってきました。
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